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名古屋地方裁判所 平成3年(ワ)2473号 判決 1992年10月28日

原告 足立多市

右訴訟代理人弁護士 伊藤公

被告 株式会社地上社

右代表者代表取締役 日下守

右訴訟代理人弁護士 南舘欣也

同 熊田登与子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一、請求

本件は、原告が、被告から、不動産の買い受けについて仲介を依頼され、売買契約を成立させたとして、仲介手数料の支払を求める「被告は原告に対し金八七八万七一八七円及び内金八五三万一二五〇円に対する平成三年七月一一日から右完済まで年六分の割合による金員を支払え。」との裁判を求めたものである。

第二、事案の概要

(事件の経過)

各項で証拠を掲記する以外の事実は当事者間に争いがない。

1. 被告は、住宅の建築、分譲等を業とする会社であり、名古屋市内で手広くマンションの建築などの事業を展開し、当時もマンション用地を求めていた。

マンションの設計、監理を通じて関係のあったデザム建築設計事務所の平野から、被告の企画部企画部長岩田勇に対し、本件不動産の紹介がなされ、被告は平野に対し本件不動産の買い受けの意向があることを告げた(証人岩田)。

2. 原告は、宅地建物取引業法の免許を受け、宅地建物取引業を営む者であり、平成三年五月当時、手術をして仕事が十分にできなかったころ、青木光輝が原告の仕事を手伝っていた(証人青木)。

平野から被告の意向を伝え聞いた原告は、仲介業者である名宏こと河野一成(以下名宏ということがある)に地主にあたってくれるようにもちかけた(証人辻、同青木)。

3. 平成三年五月ころ、名宏は、合資会社浅井モータースから左記不動産(以下本件不動産という)の売却の仲介を依頼された(証人辻)。

一  名古屋市瑞穂区<以下省略>

宅地 六四四・六二平方メートル

二  名古屋市瑞穂区<以下省略>

軽量鉄骨造陸屋根二階建 居宅兼作業場

床面積

一階 八二・八二平方メートル

二階 八三・三五平方メートル

4. そこで、原告が買主側の仲介業者となり、河野と売買条件について交渉をしていたところ、同年五月一三日、東急インで、浅井モータースと被告が直接面談することになり、被告からは岩田と部下の安井が出席し、仲介業者として名宏の従業員である辻俊一と、原告からは青木が同席し、平野も出席した。

その場では被告から坪当たり一七五万円で買い受けたいとの希望が出され、売り主側で検討することとなった。

同年五月二三日ころ、再度、前記の関係者が集り、売り主から被告の希望した代金で売り渡すことに同意する旨の意思表明があった(証人岩田、同青木、同辻)。

5. 売買代金について条件が折り合ったので、契約の締結に向けて作業に入ることになったが、本件不動産の売買については、国土利用計画法(以下国土法という)二三条の届出が必要であり、右届出に対する結果がでるまで、契約を締結することが禁止されていたため、売却と買受けの意思を確認するために、同月二七日、売渡承諾書(甲二)、買受申込書(甲一)が交換された。

右買受申込書には、売買代金については坪一七五万円とするが、国土法の勧告がなされればそれによること、実測面積による売買とし、測量の上地積更正登記をすること、代金の一〇パーセントを契約時に手付金として支払い、受渡時に残金を支払うという条件にて買い受けることを証明し、売渡承諾書には、右計算による代金で売り渡すことを承諾する旨が記載されている。

なお、右各書面では、「契約予定 協議の上決定」と記載されているが、これは、契約書の作成を当然の前提とし、契約条件の細部を詰めてこれを作成する日時は協議の上決定するという意味と解される。

6. 右合意に基づき、同年五月二八日国土法の届出(甲三)がなされ、同年六月一二日に不勧告通知(甲九)があった。また、同月一四日までに測量が完成し(甲一三)、地積更正登記の申請ができる状態になった。

その間、契約書の用紙をどちらが準備するかとのやりとりはあったが、現実に契約書の案が被告側に示されたようなことはなかった。

六月一二日、名宏の辻は被告を訪れて、岩田に対し、不勧告通知があった旨を伝えるとともに、「地主が手付金を早く欲しがっている。いつ払ってくれますか。」と言ったところ、岩田は「一週間ないし一〇日間の猶予を下さい。」と返事をした(証人岩田、証人辻)。

7. 同年六月二一日、岩田は、仲介業者二社と平野の来社を求め、同月二五日に被告の幹部会が行なわれるので、それまで契約書の作成を延期してくれるように頼んだ。原告と名宏は、右申し出を浅井モータースに伝え、説得することとしたが、岩田に対し「もう変更はないですね。買う意思はあるのですね。」と念を押した(証人岩田、証人青木)。

8. 被告の幹部会で、売買契約の締結については了承が得られたが、契約の締結及び手付金の交付を同年七月一六日以降に、残代金の決済を一〇月中旬まで延ばすように決められた(証人岩田)。

そこで、六月二六日、被告の担当者岩田は、平野を訪問し、その旨を売り主側に申し入れるように依頼した。

9. 右延期申し出に対し、翌二七日、浅井モータースから「売却を承諾しましたが、当方の都合により遺憾ですが現時点において承諾できなくなりました」という通知(乙一)が被告に送られてきた。

そこで、被告も売買契約は成約できなくなったと判断し、売渡承諾書を浅井モータース宛てに返却した(証人岩田)。(争点 本件仲介にかかる売買契約が締結されたといえるか)

原告の主張

不動産の売買においては、売り主が財産権を移転し、買い主がその代金を支払うという二点の合意があれば、契約が成立したというべきである。

1. 平成三年五月二七日、被告と浅井モータースとの間で、国土法の不勧告通知があったときは買受予定価格の坪当たり一七五万円、勧告があったときは代金額をその承認額とすることを停止条件とする売買契約が成立し、同年六月一二日の不勧告通知により売買の条件が成就した。

2. 仮に、国土法が勧告前における契約の締結を禁じている関係から、1が認められないとしても、同年六月一二日、名宏が被告に対し、国土法による届出に対する不勧告の結果を通知した際、被告は売買契約の成立を確認し、同月二二日を手付金の授受の日と定めた。これにより、本件売買について必要な事柄すべてについて合意されたので、同日契約が成立したというべきである。

被告の主張

金額が高額になる不動産の売買においては、対象不動産の特定と代金額の合意のみによって契約が成立したとされることはなく、代金の支払時期や方法、不動産の引渡時期、方法、移転登記の時期、方法、過怠約款などの取引条件が合意され、契約書面が作成された段階で契約が成立したとする一般的取引慣行がある。

本件においては、不動産の特定と代金額の合意以外には何ひとつ合意されておらず、これらは国土法による不勧告通知がなされた後に協議して決定し、売買契約書の作成に至ることとされていたところ、被告が資金調達の必要上から契約締結日と残代金の決済期日について要望を出したのに対し、相手方から売却を断る旨の通知があり、契約が不成立になったものである。

第三、争点についての判断

一、原告は、平成三年五月二七日に買受申込書と売渡承諾書が作成され交換されたことによって、売買契約が成立したと主張する。

しかしながら、不動産の売買、特に本件のように、住宅産業関連の業者が市街地をマンション用地として取得しようとするような場合では、代金額が高額に及ぶ上、権利の確保に万全を期する必要があることから、慎重に条件が煮詰められ、少なくとも、代金の支払時期と方法、引渡しと移転登記の時期と方法、不履行になった場合の処置等について合意されるのが通常であり、売買対象の不動産が特定され、代金額について合意ができたとしても、これによって売買の合意がなされたものとはいえないことはいうまでもない。

買受申込書に記載された事項は前記のとおりであり、手付金の支払時期さえ合意されておらず、残代金の支払が不動産の引渡し及び移転登記との引換えになされるとしても、地積更正登記ができる時期との兼ね合いからその段階では明確にできなかった事情にあるから、売買の条件が定まったとはいえず、その段階で契約が成立したとは到底いえない。

そもそも、本件不動産の売買には国土法による届出が必要で、勧告の結果があるまでは、売買契約(予約を含む)を締結することが禁じられ、違反に対しては罰則が課せられることになっており、このことは契約者である被告と浅井モータースも、不動産取引業者である名宏、原告も、当然に知っており、そのためにこそ、不勧告通知後に正式に売買契約を締結することを当然の前提として合意された事項を基本的事項として契約締結に向けて努力することを誓約する意味で売渡承諾書、買受申込書を交換し合うことにされたものと認められる。

このようなことからいうと、右売渡承諾書、買受申込書によって、売買契約が成立したと原告が主張するのは、筋が通らない。

二、次に、原告は、六月一二日、国土法の不勧告通知を被告に伝えた際、手付金を六月二二日に支払うことに合意ができたから、これによって売買の条件についてすべて合意ができたので、同日売買契約が成立したという。

なるほど、証人青木、同辻、同岩田の証言によると、いわゆるバブル経済の最中においては、土地の取得競争が厳しく、土地取得資金の調達が容易であったため、マンション業者が用地を取得しようとするような場合には、国土法の届出をなす段階で、金融機関との間での融資の話も詰められており、国土法の不勧告通知を得た後、一週間ないし一〇日後に契約書が作成され、手付金が支払われ、残代金の支払は、土地実測後地積更正登記ができた段階で、引渡し及び移転登記と引換えに行なわれる事例が多かったと認められる。

そして、本件においても、前記認定によると、六月一二日、岩田は辻から、「地主が手付金を早く欲しがっている。いつ払ってくれますか。」と言われて「一週間ないし一〇日間の猶予を下さい。」と答えており、同月二一日には岩田は原告や名宏に対し、被告の幹部会が行なわれる予定であることを告げて、二二日に手付金が入るものと思っている売り主の説得を依頼しており、これらのことからすると、岩田は一二日の段階では、六月二二日までに、契約書の作成と手付金の授受が行なえるものと見込んでいたと認められる。

証人岩田の証言中には、契約書の作成と手付金の支払を何時にするかを決定する期間として一〇日間猶予されたと供述する部分があるが、右供述部分は採用できない。

以上の認定のとおり、一旦は、六月二二日に、手付金を授受し契約書を作成することの合意ができたと認められる。

しかしながら、売却条件について合意ができたとしても、本件のように、その後において契約書を作成することが予定されているような場合には、契約書が作成されて初めて契約が成立したというべきであり、合意後契約書作成までの間において、右合意の変更が全くできないというわけではないと考えられる。

すなわち、売買契約が成立し、以後契約当事者がこれによって拘束される状態になったか否かについては、契約の締結に関する一般的取引慣行に基づいてこれを判断する必要があるところ、不動産の売買については、売買の条件について合意ができたからといって、契約が成立しその履行が強制できるとするような考えで行われてはおらず、特別に契約締結の日を定めて、売買条件を明記した契約書が作成され、かつ、手付金が授受されて初めて契約が成立し、それ以後、当事者はこれに拘束されるものとするとの慣行があることは公知の事実である。

要するに、契約書の作成前であれば、締結するかどうかは、挙げてその自由な選択に委ねられており、契約をしないことにすることも許されるのである。

契約をしないことにすることさえ可能であるから、それまでに売買の条件としてどのような合意があったとしても、その変更を申し出ることもまた許されるものであることはいうまでもない。このような意味において、契約書が作成されるまでにおいて「確定」された条件というものはありえず、すべて浮動的なものである。

本件において、右慣行と異なる合意がなされたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、前記認定によれば、六月二一日に、岩田が被告の内部事情を理由とし買受けの可否を含め最終的決定を同月二七日ころまで延ばしてもらいたいと申し出たのに対し、買い主も了解しており、六月二六日に被告が契約書作成時期を七月に、残代金の決済を一〇月にしてもらいたいと申し出たことに対し、浅井モータースはそのような条件では売渡しはできないとして、契約締結に向っての交渉を打ち切ることにして、売渡承諾書の返還を求めているのであって、一旦成立した契約を解除するという考えに立ってはいない。

以上のとおりであり、被告と浅井モータースとの間では、結局、契約書の作成と手付金の授受にまでは至らなかったから、本件不動産の売買契約が成立したと認めることはできない。

第四、結論

以上認定のとおり、被告と浅井モータースとの間で本件不動産の売買契約が成立したと認めることはできないから、その成立を前提とする原告の不動産取引仲介手数料を認めることはできない。

以上のとおり、原告の本訴請求は理由がないので、これを棄却する。

(裁判官 野田武明)

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